- #がんばる
- #きこえ
がんばることを再考する

「がんばる」とは,皆さんにとってどのような意味を持つものでしょうか?
「きこえ」のページではリスニング・エフォートという考え方について説明しています。リスニング・エフォートとは「がんばってきく」ことを意味します。エフォートが高い状態が続くと,日常生活にもさまざまな悪影響が出るとされています。そのため少しでも負担を減らして,「楽にきく」ような環境を整えていくことが重要です。
このように「楽」という表現と「がんばる」という表現が並ぶと,まるで「楽をすること」に後ろめたさを感じてしまう方も多いのではないでしょうか。童話の「うさぎとかめ」や「アリとキリギリス」のように,努力を積み重ねたほうが成功に近づくという話が刷り込まれてきた結果かもしれません。加えて,子どもたちが一生懸命がんばった際にその成果を褒めるといった,日常的な大人の声かけも「がんばる」という行為を強めているように思います(これらは文化的背景の説明であり,童話や褒めること自体を問題視しているわけではありません)。
しかし,「がんばることで失うもの」についても考える必要があると感じています。リスニング・エフォートでいえば,がんばることによって自身のエネルギーが消費されて疲れがたまり,その結果,さまざまな機会・経験の損失にもつながる可能性があります。がんばりすぎて苛立ちやストレスが溜まるようであれば,本末転倒といえるでしょう。そのためには,「楽に」物事に取り組むという選択肢も大事になってくるかと思います。
あわせて,「誰ががんばるのか」ということも考えていく必要があります。学習指導要領にも書かれているように,予測が困難で変化の激しい社会を生き抜くための力は障害の有無を問わず重要になります。障害がある場合にはこれに加えて,「自ら望ましい環境を整えていく力」も必要になります。これは「セルフ・アドボカシー」と呼ばれる重要な力です。しかし,場合によっては障害のある方に「がんばること」を過度に求めてしまうことにもつながりかねません。そのような姿を美徳とするのではなく,周囲や社会ががんばることで,本人ががんばり過ぎなくてもよい状況を作っていくことが何よりも重要です。
誤解のないように申し添えますが,がんばることそのものを否定しているのではありません。自分自身で納得してがんばる姿は尊重すべきだと思います。周囲から強制されるわけでもなく,「がんばったことで得るもの」と「がんばることで失うもの」のバランスを「自分の意思で」考えて行動していくことが重要です。聴覚障害のある子どもの場合には,あくまでも本人を中心としながら,周囲の大人が伴走することで,良いバランスを一緒に見つけていくことが望まれます。
聴覚障害児教育においては,さまざまな技術が発展したり,コミュニケーションモードの選択肢が以前よりも広がったりしたことで,子どもの可能性が飛躍的に向上してきました。そういった状況で,本人の意思を尊重しながら,さまざまなバランスを考えていくことがより一層求められているように感じています。「がんばる」ことを盲目的に美徳とするのではなく,その意味を問い続けることが,これからの時代には必要なのかもしれません。
